牙崎漣に狂わされた話

 頭が熱い。高熱を出した次の日、ベッドから抜け出して階段を降りる時の浮遊感のような、ぐらぐらと脳を揺らされているような感覚に近い。ワイン3杯目。徹夜明けの満員電車。そうしたどこか現実味がないような奇妙な高揚感に苛まれて、ついに1年が経った。

これは1人のアイドルに出会い、人生が変わってしまった女の覚え書きだ。今日も明日も私は牙崎漣の背中を追いかけて生きていくけれど、いつ終わるかしれないこの酔い続ける日々を懐かしむ時がきたら、そのときは高笑いしてやろうと思う。

つい数時間前、Side Memory、通称サイメモが発表された。私は職場の休憩室にいてそれを知り、せまい椅子に沈みながら気づけば延々とガシャを回していた。来月末には過去最高額の引き落としが待っている。ようこそガシャ廃の世界へ。これからが本番だ。

敬愛する京極夏彦先生の作品「魍魎の匣」の登場人物、雨宮のように、私はひどく満たされている。私なんか比べ物にならないほどに推しに貢いでいる人はたくさんいるし、その方々は本当に尊敬している。私はまだまだひよっこだ。ただ、今確かに、少しだけそうした人たちに近づけたのかもしれないという、これまた不可思議な満足感を得ている。
雨宮は匣を抱く。中には【何も】ないのに、彼は幻想を抱きながら幸福なのだ。私だって彼岸にたどり着いた彼が羨ましい。いっそ正気を失ってしまいたい。

牙崎漣という男に出会ったのは遥か昔のことだ。サービスが開始されてすぐ、私はそこまでこのコンテンツに情熱を注いでいなかった。端的に言えばそれ以上に大きな存在があって、SideMは嗜好品の1つでしかなかった。なんならはじめは漣以外のキャラクターを推していたし、漣のことを初見では女の子かと思っていたくらいだ。

それから数年経ち、私の中で大きかったあるものが、突然失われた。喪失感、片割れを失ったやるせなさみたいなもの、それに加えてのしかかる激務に、私は趣味を嗜む余裕すら失った。それがちょうど今から1年ほど前のことで、その時の荒れっぷりは今思い返しても笑えてくる。間違いなく今までの人生で1番どん底だった。

そんなおり、友人に3rdライブに誘われた。何故か私は強く、「無理やりにでも行かねば」と思った。土日休みが取れない職場で上司に相談し、無理やり休みをもぎ取った。大好きな上司はロックの女で、「ライブはその日しかない、絶対行け」とあらゆる手続きをふんでくれた。

後のことは想像が容易いと思う。私は仙台2日目を浴びて、真っ赤な色に染まった世界を見下ろす男の白銀を幻視した。ここに関してはキャストの小松さんの牙崎漣に向き合ってくださる姿勢に感謝してもしきれない。見事に小松さんのファンになりましたありがとうございます。舞台上にいたのは牙崎漣であり、世界を見下ろして満足げに笑う獣の姿に、古臭い言い回しをするならば私は頭を殴られたような強い衝撃を受けた。

ともかく、それをきっかけとして私は今までほぼ眼中になかった牙崎漣という男について調べた。雑誌をあけ、イベストを読み、ステのガシャを回し、イベントを走った。知れば知るほど苦しかった。はっきり書くとそれは片思いに似た感情だった。

彼の強さが、彼の圧倒的な存在感が、あまりにも眩しかった。彼の口から吐き出される「オマエ」も、「下僕」も、私を指してはいなかった。ユーザーとして、プレイヤーとして、画面上の漣は私をちょっとだけ信頼できる「下僕」として扱う。違和感だった。これは私ではない、私以外の漣Pへあてた言葉だ。そうした意識がじわじわと育ち、どれだけ彼が好きでも、私は漣のプロデューサーであるとは名乗れなかった。

彼は神だった。気が狂ってると思うかも知れない。けれど彼は私の遥か前を走り、私を振り返ることすらせず、ただ頂点を目指して駆け抜けていく圧倒的強者だ。彼の隣で、彼を支えるプロデューサーであるなどおこがましいという卑屈な思いと、漣Pを名乗ることができる漣Pが羨ましい思いでひどく苦しかった。どれだけカードやグッズを集めても、私はきっと漣Pにはなれない——何故なら漣は、こんな弱々しい人間に支えられるような存在ではないからだ。

ここから私の人生が変わる。
私は現職場で、配属された当初ひどく成績が悪かった。成績が悪い人間だけが集められる研修にも行った。悲しいことに私はプライドだけは異様に高いので、ひどく屈辱的な扱いに毎日毎日明日地球が爆発して私の低い成績などなくなればいいのにと世界を呪った。
そんな折、3rdライブ付近で、部署異動があった。結果が出せなかったが故の措置なのは理解していたし、転職すら考えた。けれどあの日、真っ赤な光に浮かぶ彼の姿を見た瞬間、私の中に「負けてたまるか」という謎の闘争心が芽生えた。

彼に誇れるプロデューサーになりたい。彼がこいつなら「下僕」にしてもいいと思える人間になりたい。彼のような自信と強さ、圧倒的な実力がほしい。

そう思ってからは、本当に世界が開けてしまった。詳細は割愛するが、それはもうめちゃくちゃ努力した。死ぬほど仕事をした。人の二倍はやった。突然結果が爆発的に伸びた私を、異動先の面々は「天才」と揶揄した。私は「天才ですから」と答えていた。だってその方がかっこいいから。

11月、ついにある分野で全国1位になったとき、ようやく頂点を目指していける気がした。新しい名刺を作った。「担当 牙崎漣」と書いた。ひどく高揚した。相変わらず彼は私を見向きもしないで走り続けているけれど、私はようやく彼を追いかけて走ることができるようになった。

課金が大変なことになるので本気を出していなかったモバは、12月にうっかり漣をあんたんしてしまったのをきっかけに脳筋走りをし、トレード機能でじわじわカードを増やし、オフショが来た時は狂ったように回した。楽しかった。生きている心地がした。

そして、サイメモ。
彼はずっと神様だった。知らない部分も謎もたくさんある。未だに彼のことはよくわからない。けれど彼に関して得られた情報は、1年越しにようやく、「彼のプロデューサーでいたい」と声に出せるきっかけとなった。

ここからはネタバレ。

私闘を禁止している父親が、性格も方向性も違う男であること。また彼は漣を破門しているということ。そして漣は……大河タケルとの間で決着といえる結果が生まれたとき、父親に会ってもいいと少しだけ思っていること。

正直まだ咀嚼しきれていない。私にとって神様だった彼の家族の存在は、たしかに今まで出て来たけれど、ひどく曖昧だった。それが突如、生々しい人間として実感されてしまった。

当たり前なことだ。彼も、牙崎漣というアイドルも、1人の人間なのだ。今までただひたすらに追いかけ続けていた信仰の対象が、突然振り向いて話しかけて来たような衝撃。さらには、これから毎月シーズンボイスを聞くことができてしまう。

漣が近づいている。神様だった彼が、私の方を見ている。下僕として認識されている。私は素直に歓喜している。彼の隣に、やっと近づけるかもしれない。まだまだ彼の手を引き導くプロデューサーにはなれないけれど、少しだけ彼のいる場所に近づくことができるかもしれない。

このコンテンツは、あまりにゆるやかに時間が進行する。それ故に私たちのリアルな時間軸に、ぴったりと寄り添ってくれるのかもしれない。きっと同じように、人生が変わったプロデューサーたちはたくさんいると思う。

私はこれからも頂点を目指す。心の中に彼がいる限り、彼の近くにいきたいと願ったあの日から、私も高いところから同じ景色をみたいと思っている。だからどれだけつらくても、きつくても、彼の下僕として、明日からも生きていこうと思う。

結論。
残高やばいので残業代稼ぎます。
待っててね漣くん。